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「情報をデザインする」ということとは。

先日情報デザインについての講義を受講しました。某大学の授業に公認?でモグリこんだわけですがたいへん勉強になりました。これは印象的部分のレポートですのでちょっと偏っているかもしれません。

 

流れとしては大きく二つあり、既知の情報伝達の在り方を前段に、歴史的情報伝達の経緯と、現代社会の情報伝達の方法論を語られました。

 

前段として既知の情報伝達に、大きく分けて縦軸と横軸があり、それぞれメタとネットワークとしています。

 

  • 縦軸メタは権利義務的な情報の流れ。
  • 横軸のネットワークは緩やかで自由な関係。

 

このような関係は古代においてのキリスト教やゾロアスター教の広がりが、わずか200年でユーラシア大陸を端まで横断したという事実があり、これが「成功したネットワーク」の代表例です。

 

そして「社会のよりよき成り立ちのために行う、良いコミュニケーション」という情報伝達のバイアスが示されます。「良いコミュニケーション」が情報伝達の障害=距離や時間という障害を乗り越えられるのでしょうか。良いものは良いものほど情報価値を高めて、伝わり易いのはクチコミがそうであるように実感できることです。では「良いコミュニケーション」とは何か?良い悪いは社会が判断するのでしょうか?(私は講義のあとだんだんとココが気になってきました。)

 

つぎに歴史とは対極的に現代的な解釈に入ります。情報とは何か、知識とは何か?
「知恵の実態」という情報の影響関係をモデルにした図を見ながら説明されました。

 

  • 情報とは、データをわかりやすいように整理したもの。
  • 知識とは、条件分岐がついている情報。判断できるように整理されれている。

 

これはIT辞典があるとしたらそれらに載っているような表現とは違うものであり、理解を促す需要なキーワードのように聞こえました。特に「知識」に関しては、そのような解釈が可能なんだと感じ入りました。「条件分岐」が「知識」なのかと、生まれも育ちも違うような子の血が繋がっていたかのような錯覚です。

 

あるとき真っ暗な通路を一人歩いて、通りは一本。次第に明かりが見えた時、駆け足で通りを抜けきろうとする。そこに知識も知恵も必要ない。
だが途中通路が二手に分かれた時、いかなる条件をもとに私はどんな判断を下すのか。
とたんに自分の持てる知識をフル活用して窮地を脱しなくては。ここに条件分岐を的確に判断するための情報が必要になってくる。先にあかりは見えるのか?狭いか広いか?あらゆる情報から決断を迫られる。以上は私が勝手に思いついたこと。。。

 

というふうに思考実験すると、ああ、これはウエブデザインにおけるナビゲーションだ。UIだ。無秩序で真っ暗闇のサイトデザインには「知識」が備わってないんですね。サイトではナビでユーザーをふるいにかけながら的確に導かなくてはいけない。あらゆる時点でデザインによる条件分岐をが行われている。知識あるものが的確にユーザーを導いてゆくんだなと気づかされたのです。日頃そんなことばかり考えていてはデザインできませんけれど。

 

そして、

 

  • 「情報をデザインする」ということは、既に獲得している自分の知識に照らして関連がつくられるということ。

 

加えてジャーナリストの術として<例示~類似~対比~比喩>という流れを使って「相手の推論方法に乗りやすいように情報を加工する」という実務的な作法を語られました。
これはまさに日頃このような方法で「加工」あるいは「デザイン」された情報に、われわれは接していることになります。つまりそこに知識があり、ジャーナリズムが生きているのです。
それを作為的と捉えることは可能ですし、アジテーションに使われることもあると思います。そう言う意味でなおさら「情報はデザインされているということを意識する」のは大変大事なことなのだと思いました。

 

 

category: リコメンド

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