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プロの視点~写真展を見て

写真展を観てまいりました。
1970年代。横須賀ドブ板通り。藤田亮写真展「ONE FOR THE ROAD」。ベトナム戦争はまだ続いている。米兵が闊歩する。夜は酒と女を目当てに通りは喧嘩やおふざけ。昼は学生たちの闘争がモノクロ写真に切り取られている。会場は横浜の地下ギャラリー。自分がその時代そこに生きたわけではないが、地続きでこの土地に歴史が刻まれているんだということを感じる。藤田氏が繰り返し通ったというドブ板。当時ものすごい引力があったことだろう。藤田氏が撮りたいと思った瞬間が、40年のときを経てここにある。
だが、当時と比べて社会が弛緩して見える今では、時の緊張感を追体験することは難しい。ところが、一冊にまとめられたすばらしい写真集を見るとなぜか通りの喧騒が聞こえてくるようである。静止したその瞬間瞬間が、生き生きとして感じ取ることが出来る。会場と同じ写真であるのだが、本という形態のため連続して展開するという演出がリアルさを際立たせるのだろうか。

 

 

藤田さんには数年ぶりに対面させていただいたが、この写真には縁があり、数年前の個展でお手伝いさせていただいたことがある。そのときは17インチのディスプレイに写真をスライドショーさせた。
写真を見るという行為には様々な方法がある。額装で一枚一枚丁寧に見ることも出来れば、本をめくるように閲覧することも出来る。スクリーンに投影することで連続した臨場感を持たせることも出来る。その方法を作家が提示することで、見るものへの伝わり方が違ってくるだろう。購入した本を手にしながら、この写真には連続したストーリーがあるのだな、私にはそのように思えた。

 

 

続いて日を改めて、もうひとつ写真展に伺った。小林恵写真展「フクシマ」。御茶ノ水駅近くのギャラリーだ。
ひっそりとした空間の壁に「あたりまえのものが失われた世界を生きる」と題された福島の街、村、里山のモノクロームの景色。何も変わらないようにたたずむ家々にどうしても“生活の痕跡”を探してしまうのだが、どこにも人は写っていない。
あるのは残像と壁に書かれた遺言と人間のエゴの犠牲になった動物たち。2年を経ても容赦なく現実を突きつけてくる。写真には現地の放射線量が刻まれている。放置された今を伝える、残酷なメッセージでもある。
加えて外での遊びを制限された一時避難の子供たち。(こちらはカラー写真) その表情だけは救い。

 

 

小林氏は香川県豊島の生まれ。私が先日お手伝いした豊島事件・産廃問題のWEBでは氏の写真なくしては成立しなかった。問題が問題として存在し始めた当初から取材されておられるその行動力と真摯な眼差しは「フクシマ」に於いても変わることはないのだろう。小林さんに御礼のひとつでもと思っていたがこの日お会いすることは叶わなかった。

 

 

趣き・視点こそ違えどもカメラマンというプロフェッショナルの魂を感じることが出来た写真展でした。

 

 

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