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わたしを離さないで、私の中のあなたは。

カズオ・イシグロの「私を離さないで」を読んだとき、設定こそやや近未来的だが描かれているが、それは青春の1ページであり、隔絶し禁欲的な宿舎で生きる子供たちの心の機微を、まるでそこにいるかのように表現し感銘を受けた。文庫本で読んだとき既にオビには映画のワンシーンがあった。映画化がされていることがわかったけれど、それから1年余、ようやくツタヤで借りてきて観た。もっと早く観たかったけど、残念な思いを抱きたくなかったし。

で、よかった~。音楽をレイチェル・ポートマンがやっている。長いいくつものエピソードをうまくまとめており主軸の自分探しの流れをしっかりと見せているし、自己存在の切なさが、小説以上に染みわたってきた。不安定な主人公たち。どこにたどり着くかわからないような話の運び。観終わってからも、もう一度時計を戻して、でもどこまで戻せばいいの?と自問自答し、仮に時計を戻しても何も意味はないということに気づかされる。このテーマはシンボリックに我々の将来を描いているなぁと感じ入った。すばらしい映画。監督 マーク・ロマネク。

 
そして、DVDコーナーで気になった、似たような題材のキャメロン・ディアス「私の中のあなた」も借りた。
これもいつか観ようと思っていたので、ついでに観た。この映画では最初にすぐに語られてしまう「病気の姉の提供役」として生を受けた妹の独白により、物語の方向性がはっきりとする。思慮深い主人公、偏屈で切れやすい母などそれぞれの役の性格がはっきりして、深刻な内容だけどアメリカ映画お得意の裁判シーンなんかが逆にありきたりな印象を受けてしまう。ただしある意味ポジティブな結末の後味は悪くはない。

 
この2本の映画には、ある共通のキーワードが存在するが、その視点は決定的で本質的な違いが見て取れる。方や選択の余地がなく、方や選択を得る。不器用で不自由な主人公と、聡明で先回りできる主人公。どちらもその結末に気づかされることがある。やはり人間同士は理解し合うことがとても難しいのだ。恋人であっても親子であっても。だが、どうしても聡明な主人公に感情移入できない。なぜならば自分がそうじゃないからだ。だから見る側の視点で大きく評価が分かれるのではないかと思う。「わたしを離さないで」の主人公たちの不器用さはそのまま我々ではないかと感じる。それこそが映画のリアリティだと思う。そう思わないではいられない理由が物語自身の中に隠されているのだが。そういう意味で小説の読後感と映画の印象の極めて近い稀有な映画だった。

category: 一喜一憂

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